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2021 5/22

藤沢宿の蔵利用したパン屋さん大人気

旧藤沢宿は幕末前後までは宿場町であると同時に東寄りには旅籠や旅館が、西寄りには商店が並ぶ商業併存の街でした。明治に入って藤沢市の発祥地(明治11年高座郡役所設置、大正5年藤沢町役場設置)として官庁街を形成し、その地の利から米穀、麦等生産者への肥料販売、生産された穀物集荷と販売などを扱う流通基地として栄え多くの店蔵が存在していました。

明治20年(1887年)鉄道の藤沢停車場(現藤沢駅)が開設、昭和26年(1951年)市役所が朝日町に移ると共に段々と地区のまち様相も一変し、旧藤沢宿街道には当時の面影を残す店蔵や穀物、肥料蔵の姿も僅かに残すのみとなりました。歴史を物語るお蔵を大切にし、リノベーションによって保存活用されている関次商店のお蔵の姿を紹介します。旧藤沢宿で歴史を語る穀物蔵の利活用されている現在のお蔵の姿を見学してみて下さい。

パン屋さんが入る関次商店の蔵

(土蔵造り平屋建て、切妻造り、トタン張りで明治19年築(国登録有形文化財))

蔵の内部

(お蔵内部は調湿性に配慮した塗り壁の木舞組をそのまま見せた土壁と小屋組み、軒高5メートルの空間を形成した造り)

関次商店は明治6年に創業した米穀肥料商。初代創業者が醤油で有名な「亀甲満(現在のキッコーマン)」で修業した後に現在地で創業。相州小麦を「亀甲満」に卸していました。明治時代には高座郡役場や登記所が置かれていたため高座郡だけでなく近隣する鎌倉群や三浦、八王子、町田等広い商圏として農民、商人の往来がされていました。相州小麦は醤油の原料として野田に運ばれたとのことです。

相州小麦を扱ったお蔵を活用した小麦を大切にする「蔵のパン 風土」

入り口には「オーバニック小麦×自家製酵母」風土 と書かれた暖簾がお客様を迎えます。当時の麦流通を支えてきた関次商店のお蔵をリノベーションし、「蔵のパン 風土」さんが2019年1月にオープンから丸2年経過し、地域の方々や藤沢散策の方々の「楽しみの場所」として好評です。

店主・オーナー 岩田和憲さん

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

多くのお客様から人気の自慢の自家製パン

(暖簾に書かれている「カナダ産のオーガニック小麦粉」をメーンに使用、小麦の玄麦から自家製分してつくられたパン)

お蔵がご覧の様に「憩いのスペース」に…土壁だったお蔵がゆっくりくつろげる「憩いの場」が用意されています。

パンを召し上がりながら、今では貴重なお蔵を見ながらの「お休みどころ」で楽しい一時を…ご自由に利用できます。「お休みどころ」仕様は日本大学生物資源科学部「住まいと環境研究室」の学生さんによって構成されました。

 

郷土の姿を伝えるために倉庫蔵保存を目的としたリノベーションの姿を多くに皆さん見て頂きたい(現4代目関次商店当主)」と歴史を語る当時の穀物蔵の姿を保存のために利活用された様子を見学してみて下さい。

<パンの蔵 風土>

藤沢市本町4?5?20  ?090?2147?6314

(「南消防署本町出張所」横を「常光寺」に向かう右側 )

定休日…月・火  営業時間…9:00?15:00(売り切れ終了)

 

藤沢宿 ”わくわく藤沢宿通信” №35

 

 

 

 

 

 

 

 

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