藤沢は、鎌倉時代に開山した盆踊りの元祖として知られる一遍上人が開いた時宗の総本山「遊行寺」(清浄光寺)の門前町として栄え、江戸時代は東海道の宿場町「藤沢宿」として発展しました。明治20年(1887年)に鉄道が開通し、現在の藤沢駅に「藤沢停車場」が開設された以降、「藤沢宿」で繫栄してい旅籠等が移転し、「まち」の繁栄が「藤沢宿」から「藤沢停車場」付近に移り現在の「まち」姿の基になりました。 藤沢の玄関口「藤沢駅」と「遊行寺」を結ぶ「藤沢柳通り商店街」は、「藤沢宿」からの華やかな歴史・伝統・文化を引き継ぎ、1964年に開催された「東京オリンピック」では江の島でセーリング競技が行われた昭和30年代頃までは、料亭・見番・置屋が軒を連ね、“花街”として大いに盛り上がりました。
2021年の今夏「東京オリンピック」では再び江の島がセーリング競技が行われますが、湘南の風に吹かれながら、門前町・宿場町・昭和レトロの歴史・伝統・文化と、そして、あったかい人情と粋な風情を感じる「柳通り」を歩いてみたらいかがでしょうか。
藤沢駅北口の「柳通り」周辺は、江戸時代は東海道の宿場町「藤沢宿」の面影を残しながら1960年代はいくつも料亭や小料理屋、見番、置屋が建ち並ぶ「花街」として発展してきました。昼間は三味線を練習する音が聞こえ、夕方は芸者衆の歩く姿で賑わったという。
そんな「まち」風景を残すべく、周辺の料亭や置屋などを中心に、「柳通り」にちなんだ楽曲の自費制作の話が持ち上がり、レコード会社に打診の結果、当時新人であった島倉千代子さんが抜擢され、「藤沢やなぎ小唄」は島倉千代子さんが、B面の「藤沢ばやし」は村田英雄さんと五月みどりさんが、藤沢駅北口の商店街「藤沢柳通り睦会」のために歌い、1964年(昭和39年)頃、日本コロムビアからレコード・リリースされました。
2曲とも、三味線と粋な歌いっぷりで、「柳通り」での恋や藤沢の情景が表現されており、実際のお座敷でも、芸者がこの曲に振りを付けて踊ったという。画面では当時の「柳通り」「遊行寺」「江の島」「伊勢山公園」が映されています。
以下のURLから藤沢の玄関口である当時の「柳通り」の風情を知る事ができます。
https://www.youtube.com/watch?v=txuAaqD8tdk
藤沢やなぎ小唄
作詞・西沢爽 作曲・米山正夫」 歌唱・島倉千代子
(一)逢いに来たやら 東京の風も
柳通りをそよそよと
(囃)柳なよなよ 燕がすいすい
恋の藤沢 三味の音 ええ三味の音
(二)橋を掛けよか 江ノ島ほどの
好きなお方の あの胸へ
〈三〉あの娘どこゆく 遊行寺さまへ
恋のいろはの 手習いに
(四)つばめ可愛いや また来るときは
街の何を目じるしに
「遊行寺」は1年通しての仏事、四季折々のイベントなど藤沢市民にとって大切な場所でした。
江戸時代に「宿場町」として大山詣や江の島参りで行き交う人や宿泊する旅人で賑わいをもたらした旅籠等が「藤沢停車場」付近に移り、「柳通り」際には大型旅館が建ち、また通り付近には遊郭街が形成され、その後飲食店、スナック店街として「まち」の特色を描き、現在ではその当時の面影が僅かに見られますが大型マンションが建ち並ぶ住宅街へと変貌を遂げてきました。
「柳通り」の「まち」なみ写真を「トランスボックスラッピング」しております。以下のURLからご覧いただけます(昔の藤沢駅界隈コーナー欄)。
http://aruitemiyou.fujisawashuku-kouryukan.com/t.html
江戸時代の「宿場町」の賑わいを引き継いだ近代都市への発展という藤沢の都市史の基礎を作り、新しい時代の「まち」を形成してきた「柳通り」を、商店街の発案による島倉千代子、村田英雄、五月みどりが歌う「柳通り」の歌と映像を顧みながらの「まち」歩きも味なものです。
藤沢宿 ”わくわく藤沢宿通信” №36
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