藤沢宿「藤澤諏訪神社」例祭が挙行されました。 8月25日には「諏訪神社」本殿での「例祭」、引き続き「遊行寺」での「奉幣の儀」が執り行われ、8月27日には「神幸祭」神輿渡御が執り行われました。 正応2年(1289年)8月23日に遊行四世・呑海上人が信州へ御旅をされたとき「諏訪大社」の御霊をお持ち帰りになり、「遊行寺」の守護神として山内にお祀りされたのが始まりです。当時はまだ東海道が開けてなく遊行寺と神社は一つの山に存在しており、その後山を切り開いて社を建て、広く藤沢の守護神としてお祀りされ現在に至っています。こうした経緯から「遊行寺」と「諏訪神社」は親子の関係として、今なお「神仏習合」の名残をとどめている神社です。「神仏習合」のしきたりを残す「諏訪神社」の例祭です。
(手洗いの儀) 「社務所」前に整列し手を清めて参進、祓戸に向 かいます。
(「祓戸」での神事)
(「本殿」に向かいます) 「祓戸」でお祓いを受けたあと約30段の階段を上って「本殿」に…
(「本殿」での「例祭」) 本殿の御扉を開けて例祭が始まります。 祝詞奏上、玉串献上、本殿御扉閉じて例祭の義は完。
(諏訪禰宜のご挨拶) 例祭随員の皆さんにご挨拶する諏訪禰宜。
(「遊行寺」本堂での「奉幣の儀」) 「諏訪神社本殿」での例祭後、禰宜、神職、随員は御幣を持ち「遊行寺」へお参りに伺います。「本堂」では遊行上人様拝載のあと、「神力演大光」のお経を頂き仏様の御力を頂きます。
をもち
(「御幣招き」神楽) 神様、仏様の御力を頂いた御幣を持ちて「御幣招き」神楽の儀。
(「諏訪神社」例祭「神幸祭」と「神興渡御」) 8月25日の「諏訪神社」、「遊行寺」での例祭、奉幣の儀を終え、8月27日、「神幸祭」,「神興渡御」が「遊行寺」境内で執り行なわれました。
(二基のお神輿) お神輿の屋根の天井には「鳳凰」と「龍」が付けられています。「鳳凰」が飛ぶと乱れた世を直す聖人が現れると言う言い伝え、「龍」は龍昇は幸運上昇、降龍は幸運を届ける存在、との伝説です。
(「出御祭」の様子)
(祝詞奏上の諏訪禰宜)
(式典終わって皆さんに挨拶する諏訪禰宜)
(「神輿渡御」スタート) お囃子先頭に神輿巡行です。お囃子は舟久保町内会の皆さん。
(禰宜先頭に巡行はじまり)
(高校生の手伝い受けて神輿巡行開始) 昨今は神輿担ぎ手がいなくなったため、台車に神輿を乗せ綱で引いての渡御時代となりました。町内会の皆さんの参加もままならず、藤沢高校(藤嶺学園高校)の野球部の皆さん(47名)が今回もお手伝いして頂きました。
(9時から氏子30町内13カ所、17時30分宮入まで巡行します)
(神輿を迎える西富囃子)
(お神楽奉奏)
(「神樂」の合い間に一休みする高校生)
(御殿橋を通過する一行) 最終巡行の西富会館、大鋸町、そして宮入と進みます。
コロナ禍で4年振りの巡行でした。祭典前の日曜日(今年は8月20日)に藤沢駅の北口、南口と保存会の会員による神輿を担ぎ、27日には台車で一日掛けて氏子中を渡御するようになりました。かっては氏子中心に、自分達の町内を神輿を担ぎ、あわせて町内神輿や子供神輿で20数基に及んで次から次へと神輿が続いたとの事です。巡行を見守る高齢の方は「当時は神輿の数や担ぎ手の大きな声での掛けで元気付けられた。当時が懐かしい」 と当時の神輿姿を懐がしがっていました。 現在は少子化、高齢化、地域の関心度から担ぎ手が集まらない状況で、「神輿保存会」も間もなく結成50年を迎えるとのことですが、「保存会」の皆さんも高齢化で継ぐ人が少なくなり、現会員は当時若かった担ぎ手がそのまま現在も活動してきており、この面でも「保存会」メンバーの高齢化が著しい環境と言うことです(「保存会」メンバー談)。
明治以降は「神仏分離」の制度になりましたが、「藤澤諏訪神社」、「遊行寺」では明治以前の「神仏習合」を取り入れています。正月には遊行上人ほかが「諏訪神社」へお参り、「諏訪神社」8月の例祭儀には「遊行寺」での奉幣の儀が執り行われていて、伝統を引き継いでいる日本では珍しい活動です。
資料参照:諏訪神社冊子
藤沢宿 ”わくわく藤沢宿通信” №69
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