「ふじさわ宿交流館」廻りは、鎌倉時代の遊行寺門前町、江戸時代には宿場町、明治・大正時代は米穀肥料商はじめ多くの店蔵があり商業の基地として繁栄、また市の発祥地として官庁街を形成してきました。しかし明治20年藤沢停車場(現藤沢駅)が開設され以来まち並みは藤沢停車場へと移っていき、昭和26年に市役所が朝日町に移転と共に繁栄してきたまち姿が大きく変貌し、街道際にあった店蔵や店舗も姿を消し、現在のまち姿になりました。
そうした中でかっての商売をされていた時の写真や取引先としてメーカーからの標章看板を「ふじさわ宿交流館」で展示されていて見る事が出来ます。個人商店が消えつつある中で今では貴重な資料をご覧下さい。
仕入れ先メーカーから商店に送られた標章看板
角田吉五郎商店は現藤沢橋交差点際(旧川岸町)の砂山観音横で大正、昭和、平成と酒・醤油の卸小売り業を営み地域になくてはならないお店でした。現ビルには当時のお店の様子の写真が掲示さています。
大正時代、昭和時代の角田商店の様子
旧石曾根商店は明治34年創業の履物問屋、小売り商店で現藤沢橋際に店舗を構えていましたが大正12年の関東大震災で倒壊し、大正14年に現在地に移転、現在は営業していませんが当時の建物がそのまま残されていて、履物仕事場や製造販売していた履物等が外から見られます。「登録有形文化財」として国指定建造物です。遊行寺橋から国道右に白旗方面に向かって一つ目の信号の反対側に建物があります。
展示されている当時の旧石曾根商店の作業風景と商品展示
旧石曾根商店の建物とカーテンが開いている時に外から見られる展示されている店内
建物保全と店内が綺麗に整理され、営業されていた当時の土間が狭く、畳敷きであった床部分や商品棚がある店内が見られます。
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