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2019 12/27

「藤沢七福神」と「スポット」めぐり

正月は神社仏閣への「初参り」、「七福神めぐり」、「箱根大学駅伝」等で「ふじさわ宿交流館」管内の神社仏閣は多くの皆さんで賑わいます。旧藤沢宿の神社仏閣には余り知られていない物語が多くあり、物語を辿って見て廻る絶好の機会です。お参り済んだら立ち寄って見るところ(藤沢橋から白旗間の神社仏閣)をご紹介します。

そもそも「七福神」は福をもたらすとして信仰された「七神様」へお参りした風習で、室町時代(1336年)から始まって江戸時代に広まりました。「七福神」を祀っている神社仏閣をめぐって金運、幸運、福のご加護を頂こうと言う風習です。

七神様とは恵比寿、大黒天、福禄寿、毘沙門天、布袋、寿老人、弁財天の神様で、松の内(正月飾りを飾っておく1日?15日)にめぐる仕来りです(1月中であれば大丈夫)。

2020年「藤沢七福神めぐり」(藤沢市観光協会)は23回目。昭和28年より始められたが、途中で途絶えて、昭和5年に再びまちの賑わいを呼び戻そうとして常光寺25世・野口上人が音頭をとって、平成9年より現在の形で続いてきています。

<藤沢七福神を祀っている神社は>

?白旗神社…毘沙門天…兜を付け剣を持ち勇ましい姿。戦いの神として信仰され、無尽の福、長命の福、愛敬の福、夫婦仲、知恵と勇気、大願成就の神。

?諏訪神社…大黒天…大きな袋を背負い打ちで小づちを持ち米俵の上に乗っている。台所の神、田の神、商売繁盛、富貴・長寿の神。

?感応院…寿老人…長頭で白髪,団扇と杖を持っている長寿、健康、幸福の神。

?常光寺…福禄寿…背が低く頭が長く長い髭を生やしている。福徳、人徳、財宝、長寿の神。

?養命寺…布袋尊…不老長寿、無病息災、笑納来復、夫婦円満の神。

?皇大神宮…恵比寿…商売繁盛の神。

?江の島宮…弁財天…商売・芸能の神。

?龍口寺…毘沙門天…知恵と勇気の神。

(↑「藤沢市観光協会ポスター」と昭和28年のポスター)

<七福神めぐり」をしながら祀る神社仏閣のスポット発見のご案内>

<白旗神社> 七福神「毘沙門天」

          (↑毘沙門天)

ご祀神は源義経公。本ページ11月1日に発信しましたように、義経没後830年を記念して建立された「義経、弁慶」銅像は新しいスポットとなりました。

7日から31日まで毘沙門天が御開帳されます。

御朱印は神社の御朱印、毘沙門天の御朱印の二種類あり時折デザインを変えていて、「令和」最初の2020年1月の御朱印もデザインが変えられる予定とのことで楽しみです。

15日には左義長神事「どんとやき」(14時から)が行われます。是非お出かけになったら如何でしょう。

<常光寺> 七福神「福禄寿」

(↑福禄寿)

旧東海街道の南消防署本町出張所の裏に常光寺があります。常光寺は樹齢350年以上、木廻り4メートルの樹林があります。山門両側には夫婦の「クスの木」、墓地には真っ直ぐ伸び、大きな枝をのばした「カヤの木」、「タブの木」などあります。中には木の幹が火で焼けた部分もありますが、大きく成長した木に触れて健康を祈ってください。七福神は福禄寿で本堂の横に鎮座しています。

(↑山門の前の夫婦クスノキ)

<諏訪神社> 七福神<大黒天>

階段を約70段上ると拝殿がありますがその横に展示館があり、正月と毎月15日にあけられ、「四神剣」が展示されています。「四神」とは中国から伝えられて四季を神に配して作られた旗で諏訪神社の旗と共に展示されています。例祭の時には神輿の先頭となって巡行した旗であったとのことです。

(↑四神剣と大黒天様)

かって遊行寺と地続きでしたが、山を切り開いて下げた広い道(東海道)になりましたが、その経緯を書いた標識が参道入り口に埋め込まれており探してみては如何ですか。

諏訪神社は「神仏習合」と言う仕来りで新年には遊行上人が神社にお参りに、諏訪神社例祭には遊行寺でお経を頂いて祭りが始まるという珍しい神社で機会があればこうした神事をご覧頂ければ幸いです。

<遊行寺>

「ひぎり(日限)地蔵尊」は本堂に安置されていましたが本堂横に地蔵堂が建てられ茲に安置されています。東海道の門前町、宿場町として栄え、毎月24日に「遊行菩薩縁日」として道中安全、病気平癒、商売繁盛等々祈願する人々で江戸、明治、大正と賑わったと言われています。その横に「なでなで地蔵」もあり、是非お参りしてみては如何ですか。おばーちゃんのまち・巣鴨「とげぬき地蔵様詣り」ではないですが、毎月24日には「ひぎり(日限)地蔵参り」をしてみては如何でしょう。

(↑ひぎり地蔵菩薩)

(↑なでなで地蔵)

境内の奥にある「銭洗い弁財天」でお金を清めては如何ですか。宇賀弁財天で銭洗い…。 徳川家の祖・徳川有親の守り本尊。開運弁財天、銭洗い弁天として江戸時代から藤沢宿の人々に信仰されました。藤沢にある銭洗い弁天は江の島にある「江の島弁財天」と遊行寺にある「宇賀弁財天」の2か所です。

(↑銭洗い弁財天)

「板割の朝太郎」の墓が総門入って左の墓苑に墓があります。

板割朝太郎(本名・大谷朝太郎。板割りとは屋根ふき家業。上州は風が強く風に耐えるため屋根は板切れを重ね合わせた板屋根であった)。国定忠治の子分になったが忠治の義理立ての為叔父(中島勘助)を殺害し、忠治と別れ、長野の寺で仏門に入る。57世一遍上人の引見によって遊行に加わり、その後、遊行寺の堂司になってお経以外の寺管理役になる。その後「貞松院」住職になり、明治13年の大川屋火災で本堂消失に伴い「勧進僧」として本山復興の為に浄財集めに努め、明治26年74才で死去された。その朝太郎の墓です。

(↑板太郎の墓)

照る手姫

説教節、歌舞伎等で取り上げられている、小栗半官と照る手姫の語り。室町時代常陸の国の小栗半官が俣野にある豪族・横山大善宅に立ち寄った際、金を奪う目的で悪馬・鬼鹿毛(おにかげ)を仕掛けたり、毒酒により毒殺、閻魔大王によって生き返り、熊野へ向かい、ツボ湯で完治し、照る手姫と再会する。半官死去後、照る手姫は閻魔堂(長生院―ちょうしょういん)に入り小栗半官菩提を供養したお墓があります。

(↑照る手姫の墓)

照る手姫が描かれた浮世絵について本ページ「歩いて見よう藤沢宿」コーナー欄(P6?)でも紹介しています。

<感応院>七福神「寿老人」

本堂の横に三島大明神様があります。頼朝が戦に出るたびに静岡の三島明神にお参りし、すると「戦いは必ず勝って帰って来た」と言う事から、頼朝が藤沢に招請し崇敬された明神様で、今でも「必ず勝って帰って来る」事から商売繁盛祈願や海外旅行前にお参りされています。

(↑三島大明神様)

七福神を祀る藤沢宿神社仏閣には知らない物語や昔からの信仰がありました。四季折々季節を感じながらスポット巡りをお楽しみ下さい。

(取材協力ー白旗神社、常光寺、遊行寺、諏訪神社、感応院)

 

 

 

 

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