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2023 12/14

藤沢宿のイチョウ

藤沢宿の「イチョウ」と言えは「遊行寺」の「大イチョウ」が代表的ですが、街道から一歩入ったお寺さんの「イチョウ」も見亊です。撮影時(12月11日)には落葉がすでに終わりつつの頃でしたが、一度足を運ばれてはいかがでしょうか。

秋も深まると、私達の身の回りに生息する木々は紅葉、黄葉で色付き、「もみじ」が色づくと「紅葉(こうよう)」、「イチョウ」や「ポプラ」などが色ずくと「黄葉(こうよう)」と言われています。

旧藤沢宿の神社仏閣のは大きな「イチョウ」が黄色になり、参拝の人や散策の人の目を楽しませてくれますが、なぜ神社仏閣に大きな「イチョウ」の木があるのでしょうか。

「イチョウ」の木は水分を沢山含んでいて、難燃性の樹木であり、燃えにくく、防火の役目を果していることから火災が発生しない願いが掛けれれている、とのことです。また木が高く遠くからでも建物が見つけられたことから、建物のシンボルとして「イチョウ」の木が植えられた理由とも言われています。

「イチョウ」の実「銀杏」は食用になり大変栄養がありますが、匂いがすごく、また落ちた葉には水分が多く含むため燃えにくく、掃除が大変と言うデメもあります。

そう言われれば旧藤沢宿は多くの火災が発生し、神社仏閣が焼失しても「イチョウ」の木は残って立派に育っていたり、台風や強風の影響で幹が折れても、強く剪定しても、強健な生命力を持つ長寿の木です。旧藤沢宿の「イチョウ」をご覧ください。

<「感応院」のイチョウ>    古義真言宗のお寺で藤沢宿で最も古いお寺の一つ。源頼朝が勧請した「三島大明神」が祀られ、「本殿」は源実朝が創建したとのこと。

「三島大明神」。伊豆にいた頼朝が常にお参りし、戦いに出向く時にお参りすると必ず勝って戻って来ると言われ、そうしたことから勧請された明神様。今でも海外旅行に行く前に「安全に旅行が出来るように」を願ってこの「明神」様にお参りする方が多いという。

源実朝が創建されたと言われている「感応院」。

<「永勝寺」のイチョウ> 浄土 真宗のお寺。藤沢宿の旅籠「小松屋」で働いていた「飯盛り女」を供養した39基のお墓が、旅籠を経営していた「小松屋源蔵」の墓地内に供養されているお寺。

旅籠「小松屋」で働いていた「飯盛り女」のお墓。「小松屋」経営の小松屋源蔵墓地に供養されています。

<「妙善寺」のイチョウ>    日蓮宗のお寺。公家大名が宿泊した施設ー蒔田本陣「蒔田家」の菩提寺。                                                                                                                                                                  

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

<御殿辺」公園のイチョウ>   「藤沢御殿」があった場所近くから「御殿周りの地」と名付けられたと言われているこの場所は、「高座畜産組合藤澤場」が、その後に「澱粉工場」ができ、その後昭和59年3月市によって「御殿辺公園」として整備され、憩いの場として親しまれている公園となりました。

<「街道の街路樹」> 「先人の思いや、まちの歴史を記憶に残した当時のまち姿を伝える樹」と言われている街路樹。旧藤沢宿通りはイチョウ、ポプラの並木通りで、かって植木市開催で賑わった「通り」だったとのことです。倒木,枯れたりして伐採されたりしましたが、僅かに残る街路樹の「まち」風景です。

「イチョウ」の木は強健で強く、剪定しても、台風や強風で幹や枝が折れても、芽吹き、枝を伸ばし、また幹が焼けて空洞になっても生き抜く生命力が強い長寿の木です。

神社仏閣では大きくなった「イチョウ」の木の管理・保全にご苦労されているのが現実です。季節の移ろいを見させてくれる「イチョウ」に、また「イチョウ」等の樹の保全・管理にご苦労されている行政や神社仏閣に感謝しながらマナーを守って「黄葉」をお楽しみ下さい。

藤沢宿 ”わくわく藤沢宿通信” №72

 

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