「村のはずれのお地蔵様はいつもにこにこ見てござる」という童謡は小さい頃,よく歌った思いがあります。お地蔵様は道祖神の様に道端にあちこち祀られていて、庶民に深く崇拝され童謡や伝説など語り伝えらてきました。
旧東海道から白旗交差点を右折して白旗神社方面に向う(旧八王子街道)分岐点(この周辺は白旗横丁と呼ばれ)から左手に折れると小田急藤沢本町駅への道と分岐する旧厚木街道を進むとすぐ右側に「北向き地蔵尊」が祀られている「地蔵堂」があります。地蔵尊が北向きに鎮座されていることから「北向き地蔵尊」さんと自然に言習わしたのでは、とのことです。
地蔵尊のお立ち台には享保十年巳八月廿四と刻まれています。享保10年は1725年。享保元年には徳川吉宗が8代将軍となり「目安箱」を考案したり様々な幕政を執ったそんな時代に誕生した「北向き地蔵様」。
お地蔵様の身長は90センチ、頭のまわり40センチ、顔の長さ14センチ、肩の巾26センチ。
白旗横丁や付近の住民の信仰が厚く子供の守護神として崇められました。今でいう感染病の疱瘡の流行の時とか流行病の発生したとき等常に大勢の里人の参拝があったという。お礼には大豆で作った円い輪の御珠数様のものを作って首に掛けお礼詣りしたとのことです。また街道行く旅人も手を合わせお参りし旅の安全を祈ったとのことです。今はこの風習は無くなりましたが、地蔵様の隣の飯田屋酒屋さん、大沢材木店さんはじめ近くにお住いの方々が毎日管理されておられます。
北向き地蔵尊和讃
「帰命朝礼伊勢山の、みどりもゆかし諏訪の里。風早、花の木境なる、辻にまします御仏は、南無北向きの地蔵尊」
「遠く享保の昔より老若男女の隔たて無く、慈しみ給うぞ有難き、愛と親和に結ばれて、大慈大悲の地蔵尊」
「朝に夕なにおろがむは、心を洗い身を清め、萬の人と共々に、守らせ給うぞ有り難き、南無北向きの地蔵尊」
和讃とは和語(日本語)でみ仏の恵みをほめたたえるもので、現代風の七五調歌い上げた歌を言う。上記歌は富塚カネさんの作品で地域の神様「北向き地蔵」様の様子が歌われています。
地蔵とは地蔵菩薩の略称で地母神とも言われ、天を父と考えると、地は母となり、母は大慈非心をもって、衆生を救って下さるのだと、古来深く信仰されてきました。
近隣の大人や子供さんがお地蔵様に手を合わせている姿を良く見かけます。時代が変わっても地域の神様として大切に護られている「北向き地蔵尊」です。
小田急藤沢本町駅、白旗横丁から徒歩2分位のところ。「コロナウイルス」対応して一度お参り如何ですか。
(白旗横丁から、藤沢本町駅、旧厚木街道に向う通路)
参考資料(神谷敏夫氏文献)
藤沢宿 ”わくわく藤沢宿通信” №23
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