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2020 4/13

「藤沢宿」の「藤沢御殿」はどこに…

江戸時代に「藤沢宿」は東海道53次6番目の「宿場」として、東海道と鎌倉道、江の島道、大山道等への分岐点として栄えてきました。当時の繁栄していた「藤沢宿」の姿は社会環境や経済環境の変遷によって消え失せてきて仕舞いましたが、将軍の宿泊施設としての「藤沢御殿」、「御殿」廃止後の諸大名が利用した「本陣」はどこにあったのでしょうか。

「藤沢御殿」は徳川家康、秀忠、家光3代に28回利用されて、特に江戸から小田原への重要拠点として位置付けられ、「御殿」の四方は水堀で囲まれた言わば要塞機能を持っていたとのことです。今は住宅地となっておりその姿を見ることはできませんが「藤沢御殿」はどこにあったのでしょうか。

「藤沢宿」のあった近隣の藤沢市立大清水中学2年生の夏休み社会科課題「地域調べ」活動では、夏休みの期間中に「藤沢宿」をはじめとした地域について調べたレポートが提出され、9月開催の文化祭に展示されたレポートをご父兄や多くの地域の方々皆さんがご覧になっています。

展示されたレポートから2人の生徒さんの作品を選び、作品内容の紹介と「藤沢宿」や「藤沢御殿」について解説した「地域を調べてみよう 藤沢宿探訪」と題した藤沢市広報番組で放送されました。約15分のこの放送をご覧頂いて「藤沢御殿」まわりをウイルス収束しましたら一度訪ねてみては如何ですか。「御殿」があったところは住宅地となっていて「御殿」の跡は見当たりませんが(お住いの皆さんにご迷惑を掛けないように)…


      1. 地域を調べよう ふじさわ宿探訪 2020,03,23放送

( 藤沢宿「わくわく藤沢宿通信」№17)

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