旧鎌倉道沿いに舟玉(船玉)神社(祭神・弟橘姫命)があります。かつてこの地は鎌倉三代将軍源実朝が宋に渡る船の用材を切り出したところと伝えられ、それゆえに乗船成就海上守護の願いにより勧請されたといわれます。
このあたりを「大鋸」といい、大きな縦引きのノコギリを使う職人・大鋸引きの住んだ町でした。この職人衆によって、遊行寺の造営、玉縄城・小田原城の修築まで行われていたことが、市指定文化財「森文書」によっても知られています。森家は室町時代の中頃から大鋸に移り住み、大鋸職人の棟梁として後北条氏の庇護のもとに伝馬や問屋も支配し、古くは遊行上人に同行している職人衆の一人であったとも考えられます。