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長生院

ちょうしょういん

遊行寺の本堂に向かって右脇の坂を登っていくと、古くは閻魔堂といわれた長生院に至ります。別名小栗堂とも呼ばれ、歌舞伎などでよく知られる小栗判官・照手姫ゆかりの寺と伝えられています。常陸国(茨城県)小栗の城主であった小栗満重は上杉禅秀の乱で禅秀方について戦い、禅秀廃死後に足利持氏に降りましたが多くの領地を没収されました。それを不満とした満重は、その後反乱を起こし小栗城にたてこもりますが、応永二十九年(1422)、持氏に攻められ落城します。満重の子助重は、わずかな家臣を連れて三河国の一族を頼って逃げのびる途中、この藤沢で毒殺されかけますが、妓女照手がその毒殺計画を助重に告げたため助重だけは一命をとりとめ、遊行寺に駆け込み遊行上人に保護されました。その後、助重は、勢力を盛り返し、照手を捜し出して妻に迎えました。助重の死後、照手は髪をおろして長生尼と名乗り助重と毒殺された家臣の菩提を弔って生涯を過ごしたといいます(『鎌倉大草紙』)。これが長生院の由来で、境内には小栗主従と長生尼の墓と伝えられる墓石があります。

長生院の所蔵する南北朝時代の時宗板碑2基(延文元年銘・1356、永和三年銘・1377)は、江戸時代に遊行寺境内から発掘されたもので、市指定文化財となっています。(遊行寺宝物館に展示)

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住所:藤沢市西富1-9-27

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