旧東海道(国道467号線)沿いのかながわ信用金庫とマンションの間の小道を入っていくと、公園の片隅に伝義経首洗い井戸があります。義経は兄頼朝に鎌倉を追われ奥州平泉に逃げていましたが、文治5年(1189)藤原泰衡は亡父秀衡がかくまっていた義経を攻め、ついに衣川で義経を自刃させました。平泉から鎌倉に送られてきた義経の首は、首実検の後に片瀬の浜に捨てられたといわれています。潮にのって境川をさかのぼり白旗神社付近に漂着した義経の首を里人がすくいあげ、この井戸で洗い清めたということです。一説によれば、鎌倉に入る前に首実検に備えて化粧を施したとも、また、夜間に鎌倉方面から、首が目を見開いて亀の背に乗り飛んできたとも伝えられます。