旧東海道(国道467号線)から農協藤沢支所の手前を入っていくと、やがて永勝寺(浄土真宗)に着きます。創立は元禄四年(1691)、山門を入ってすぐ左の墓所に、旅籠屋を営んでいた小松屋源蔵の墓を囲むように39基の飯盛女(食売女・メシモリオンナ)の墓が、ひっそりと立ち並んでいます。天保六年(1835)当時、主に大鋸から遊行寺橋にかけて、27?28軒の飯盛女をかかえた飯盛旅籠屋がありました。飯盛女は、遊女に代わって出現した公認でないいわゆる私娼で、旅籠屋1軒につき2人までしか置けないことになっていました。なかにはそれを守らず数人の飯盛女を置いていたところもあったようで、実際には、全盛期で100人近い飯盛女が藤沢宿にいたとみられています。こうした女性たちの多くは、宿内や周辺の年貢課役に苦しむ農村、あるいは伊豆、遠江、駿河等の出身で、借金の返済などのために働いていたのですが、その扱いはひどいもので、小松屋のように墓を建てて葬るというのは大変珍しいことでした。