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2022 1/01

藤沢宿 藤沢「七福神」めぐり

藤沢「七福神めぐり」が1月7日から1月31日に開催されます。

お正月は神社仏閣への「初参り」、「七福神めぐり」、「箱根大学駅伝」等で「ふじさわ宿交流館」管内の神社仏閣は多くの皆さんで賑わいます。旧藤沢宿の神社仏閣には余り知られていない物語が多くあり、物語を辿って見て廻る絶好の機会です。お参り済んだら立ち寄って見るところ(藤沢橋から白旗間の神社仏閣)をご紹介します。

(藤沢市観光協会の「七福神めぐり」ポスター)

2022年「藤沢七福神めぐり」(藤沢市観光協会)は25回目。昭和28年より始められましたが途中で途絶え、再びまちの賑わいを呼び戻そうとして常光寺25世・野口上人が音頭をとって、平成9年より現在の形で続いてきています。

 

日本固有の神は恵比寿だけで、仏教由来の大黒天、毘沙門天、弁財天、中国禅僧布袋、道教由来の福禄寿、寿老人の七神様です。松の内にめぐる仕来りですが1月中であれば大丈夫です。

<藤沢「七福神」を祀っている神社は>

(白旗神社)…「毘沙門天」 …兜を付け剣を持ち勇ましい姿。戦いの神として信仰され、無尽の福、長命の福、愛敬の夫婦仲、知恵と勇気、大願成就の神。

7日から31日まで毘沙門天が御開帳されます。

22年のNHK大河ドラマでは「鎌倉殿の13人」が放送されます。頼朝の天下取りを確実にするため頼朝の異母弟である義経はじめ側近への対応策や朝廷に対する対応が放送として出て来るかも…。その義経を祀る白旗神社。今一度義経物語を知る機会になるかも….。

義経公(幼名・牛若丸)は源義朝の末子で幼児のころ鞍馬山に入れられ遮那王と称し、毘沙門天に祈って昼は学問を修め、夜は鞍馬の奥で武芸に励んだ。平治の乱で父を失い、平家が父の敵であることを知り平家打倒を心に秘め、奥州平泉の藤原秀衡のもとで青年期を過ごし、異母兄弟である頼朝が挙兵するとその軍に加わり平家一門を追討し兄頼朝率いる源氏軍勝利に導いた。しかし頼朝と義経の仲たがいの策によって平泉で自害する不幸な波乱万丈の歩みをしました。腰越での首実検のあと、境川を上ってきた義経、弁慶の首は住民によって丁重に葬られ、頼朝の意向で白旗神社御祀神として祀られた、と伝えられています。

義経公を祀る鎮霊碑、義経・弁慶像、そして「みそぎ川」、「みそぎ川」の踏み石は幼児期に暮らしていた「鞍馬山」の石とか。「白旗神社と義経」を今一度参拝してみましょう。

また白旗交差点方面から眺めると、今はマンション等が建てられ眺めが一変しましたが、当時は聖園の山が「亀の背」、御社殿が「亀の頭」に見えることから「亀山型」と言われていました。

白旗神社では年間通して色々な神事等が行われていますが、1月14日には「左義長神事(どんとやき)」が行われます。

(諏訪神社)…「大黒天」 大きな袋を背負い打ちで小づちを持ち米俵の上に乗っている。台所の神、田の神、商売繁盛、富貴・長寿の神。

階段を約70段上ると御社殿があります。その横に展示館があり、正月と毎月1日、15日にあけられ、「四神剣」が展示されています。「四神」とは中国から伝えられて四季を神に配して作られた旗で諏訪神社の旗と共に展示されています。例祭の時には神輿の先頭となって巡行した旗であったとのことです。

(↑四神剣と大黒天様↑↓)

昭和28年、藤沢の神社に「七福神」の導入の検討された際、諏訪神社のご祭神 の建御名方富神(たけみなかたとみのかみ)は大国主朱命(大黒さま)の二男であることから「藤沢七福神」の「大黒天」に選ばれました。その数年後、宮司宅の物置を取り壊した時に長持の中から、真黒な「大黒様」が顔を出しました。真黒の上にススがたまり台座の下の方は虫が食っていて、素人の判断でも江戸時代のもの思われる代物でした。「大黒様」とあっては放ってはおけず、「これはお社を立て丁重にお祭りしなければ…」ということから始まったのが「大黒天」祭とのことです。「大黒天」祭は平成3年から毎年執り行われているとのことです。

かって遊行寺と地続きでしたが、山を切り開いて下げた広い道(東海道)になりましたが、その経緯を書いた標識が参道入り口に埋め込まれており探してみては如何ですか。

諏訪神社は「神仏習合」と言う仕来りで新年には遊行上人が神社にお参りに、諏訪神社例祭には遊行寺でお経を頂いて祭りが始まるという珍しい神社で機会があればこうした神事をご覧頂ければ幸いです。

(感応院)…「寿老人」…長頭で白髪,団扇と杖を持っている長寿、健康、幸福の神。

本堂の横に三島大明神様があります。頼朝が戦に出るたびに静岡の三島明神にお参りし、すると「戦いは必ず勝って帰って来た」と言う事から、頼朝が藤沢に招請し崇敬された明神様で、今でも「必ず勝って帰って来る」事から商売繁盛祈願や海外旅行前にお参りされています。

(常光寺)「福禄寿」…背が低く頭が長く長い髭を生やしている。福徳、人徳、財宝、長寿の神。

旧東海街道の南消防署本町出張所の裏に常光寺があります。常光寺は樹齢350年以上、木廻り4メートルの樹林があります。山門両側には夫婦の「クスの木」、墓地には真っ直ぐ伸び、大きな枝をのばした「カヤの木」、「タブの木」などあります。中には木の幹が火で焼けた部分もありますが、大きく成長した木に触れて健康を祈ってください。裏には弁慶塚もあります。

山門横の掲示板には人生の生き方等々を説いたお言葉が掲示され、また藤沢警察署の発祥記念碑もあります。

(その他の七福神)

養命寺…布袋尊…不老長寿、無病息災、笑納来復、夫婦円満の神。

皇大神宮…恵比寿…商売繁盛の神。

江の島宮…弁財天…商売・芸能の神。

龍口寺…毘沙門天…知恵と勇気の神。

(遊行寺)…日限(ひぎり)地蔵尊)                                                 「ひぎり(日限)地蔵尊」は本堂に安置されていましたが、本堂横に地蔵堂が建てられ茲に安置されています。東海道の門前町、宿場町として栄え、毎月24日に「遊行菩薩縁日」として道中安全、病気平癒、商売繁盛等々祈願する人々で江戸、明治、大正と賑わったと言われています。その横に「なでなで地蔵」もあり、是非お参りしてみては如何ですか。おばーちゃんのまち・巣鴨「とげぬき地蔵様詣り」ではないですが、毎月24日には「ひぎり(日限)地蔵参り」をしてみては如何でしょう。

(遊行寺)…「なでなで地蔵」 痛いところを撫でて治る様にお願いしましょう。

(遊行寺)…銭洗い弁財                                                          天境内の奥にある「銭洗い弁財天」でお金を清めては如何ですか。宇賀弁財天で銭洗い…。 徳川家の祖・徳川有親の守り本尊。開運弁財天、銭洗い弁天として江戸時代から藤沢宿の人々に信仰されました。藤沢にある銭洗い弁天は江の島にある「江の島弁財天」と遊行寺にある「宇賀弁財天」の2か所です。

(歩道際には当時の建物等歴史を知るトランスボックスもお楽しみ)                      白旗交差点から藤沢橋間のトランスボックス22基には「東海道分間延絵図」、「相中留恩記略絵図」、道際に建てられた当時の建物の写真等がラッピングされています。「七福神めぐり」等で歩道を歩いた際に立ち止まってご覧ください。絵図の解説は以下のURlをご覧ください。

歩いて見よう藤沢宿 (fujisawashuku-kouryukan.com)

「七福神めぐり」時のみでなく「旧藤沢宿」の神社仏閣には見所一杯、四季折々楽しめるところです。藤沢宿を知りましょう。

藤沢宿 ”「わくわく藤沢宿通信” №45

 

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