ブログ一覧へ戻る

2023 2/18

藤沢宿 「藤小 昔たんけん」4年生 地域学び

藤沢小学校は創立150年、藤沢市の一番古い小学校で学区内は旧藤沢宿街道であった旧東海道通り、市の発祥地としての官庁街、遊行寺はじめとした社寺、大型商店、商家や店蔵、肥料蔵が続いていた「まちの歴史」を感じさせる地域にある学校です。学校教育目標として「自ら学ぶ児童の育成」-自ら考え取り組んでいく児童の育成ーを掲げています。3年ぶりに学区内の歴史を学ぶ4年生の地域学びが行なわれました。

「藤小 昔たんけん」 と題して、4年生111名の生徒が5,6名のグループ単位で、設定された「チェックポイント」の示された問題を探し、見つけ、回答する地域学びです。学校を9時00分にスタートして「チェックポイント」を「たんけん」し、11時30分までに学校に戻る2時間の生徒だけの「たんけん」学びです。

担任の先生によって決められた「チェックポイント」は義経首洗い井戸、常光寺、蒔田本陣跡、遊行寺、ふじさわ宿交流館、藤沢橋弁財天道標、済美館、厄神社の8か所で11の問に回答すると言う「藤小 昔たんけん」です。主なスポットの様子を紹介します。

<チェックポイント1> 「義経首洗い井戸」での問題                                                           「義経首塚碑」の上に4つの文字が書かれているが4つの口欄の部分に入る漢字を書きなさい。

美酒の桶に入れられ腰越の浜に運ばれた首は、義経と確認され(首実検)たあと浜に捨てられた首は、境川を上り白旗の住民によって拾いあげられ、この井戸で丁寧に洗われ葬られました。葬られた標の塚碑には義経の肩書が4文字で刻まれています。義経は10人兄弟の9番目、役職は半官。

<チェックポイント4> 「遊行寺」での問題                                                 ①「遊行寺」黒門の前に二つの灯篭があります。ここに彫られている獅子は全部で何匹でしょうか。

山門前に青銅製の灯篭が対になって建立されています。天保13年(1842年)8月23日建立とのことです。

②本堂の横には遊行寺に関係する有名なお坊さんの像があります。このお坊さんのお名前は。

宗祖・一遍上人は「往生はただ”南無阿弥陀佛”によってなされる」と悟り、信条として各地で念仏札を配られたお上人。銅像のお姿からは遊行する辛く厳しい生活ながらも、信念と清貧を貫き、宗教人に徹した威容さが伺えるお像です。

<チェックポイント5> 「ふじさわ宿交流館」での問題                                                                  ①交流館の建っている場所は、江戸時代はもっと広い土地だったそうです。この土地は「広小路」と言いますが、「広小路」の役目は元々何だったのでしょうか。

枡形・広小路とはもともと「火除地」と言われ、江戸時代に火災が頻発したため類焼を防ぐために設置されました。 あわせて宿場町については城塞の役目もあり、街道を二度直角に曲げ、外敵が侵入しにくいようにした通路でもあります。「遊行寺」門前として栄えた場所で藤沢、上野、名古屋の広小路は「3大広小路」と言われたそうです。

②「交流館」の外には江戸時代に使われていた高札場を復元したものがありますが、何枚の木札が掲げられていますか。

宿場の人通りが多い場所に「高札板」が建てられ、奉行からの通知等が記載されていました。大鋸橋(遊行寺橋)の脇に建てられていました。

<チェックポイント6> 「江の島弁財天道標石碑」での問題                                                    この石碑には3面に「一切衆生」「二世安楽」、もう一つは何と書かれているでしょうか。

江戸時代の鍼灸医・杉山検校が設置した石柱。市内に十数基確認されていて、新庁舎建設のため市役所分館横に設置され石柱を移したもの。「ゑの島道」「二世安樂」「一切衆生」と江の島弁財天への道を辿る人の道案内として、現世、来世の安楽、極楽の願が込められている検校の想いが刻まれています。

<チェックポイント7> 「済美館」での問題                                                         藤沢宿の展示を見ましょう。藤沢宿は1601年にできました。東海道53次の何番目の宿場でしょうか。

藤沢公民館分室「済美館」1階フロアには藤沢宿紹介等のパネル掲示や各種資料が備えられています。トイレ休憩等立ち寄ってみてパネルから藤沢宿の様子を学んでみましょう。

<おまけチェックポイント> 「厄神社」での問題                                       学校の近くにある小さな神社「厄神社」の社殿の中に道具がおさめられています。それは何でしょうか。

明治15年頃当地でも疫病(天然痘)が流行したため、入町、仲之町、旅籠町の有志によって厄除け神として「川崎大師」から分神し、明治17年に「厄神社」として建立、「厄病除神」として祀りました。毎年第4日曜日には神事等が執り行われます。お社建立のため山を切り開いた際に使用した道具(鉞)がお納められています。

<こんなところも発見しました>

④江戸時代の風景模型も見つけた‼

「交流館」1階郷土資料展示室にある藤沢宿のまちなみを表わした模型から「交流館」付近の昔の家なみやまちの様子が学べました。

そのほか歩きながら見つけた「藤小の昔の写真」「昔のまち風景」の写真が貼られてたボックスや、明治天皇が泊まったと書かれた「石の柱」などを見つけました。

こうして「スポット」を廻りながら全ての質問の回答が完成しました。

藤沢小学校は1872年〈明治5年)学生発布により「成美学舎」を開設し、1874年(明治7年)平野町に校舎を建設、別名「御殿小学校」と称され、1901年(明治34年)に現在地(本町)に校舎を建設し現在に至っています。「高座郡藤沢尋常小学校」⇒「高座郡藤沢第一尋常小学校」⇒「藤沢市立第一国民学校」に改称、1947年(昭和22年)学制改革により「藤沢市立藤沢小学校」に改称、現在に至り通称「藤小」と親しまれています。

「成美舎」は当時の藤沢町役場(旧藤沢市役所、旧藤沢公民館)の隣に2階建ての校舎だった、とのことです。こうした「藤沢市発祥地と共に歩んできた藤小の歴史から、学区内の歴史と共に歩んできたことを、生徒や父兄に学びの機会をつくり、大切に引き継いでいって貰いたい」との河瀬校長の話。

藤小管内は江戸時代、明治、大正、昭和と各年代の歴史が残る「まち」で、学校教育方針の「生徒自らが学ぶ」に沿って4年生、111名の生徒のみでの「藤小 昔たんけん」は素晴らしい地域の学びでした。

是非この地で「生まれ、学び、巣立つ」小中生の皆さんは郷土の歴史を学び大切にしていきましょう。また散策の際には「藤小 昔たんけん」の「チェックポイント」問題に挑戦して頂けければ、と思います。

写真(一部)提供: 藤沢小学校。

藤沢宿 ”わくわく藤沢宿通信”  №60

 

カテゴリーから探す

Copyright © 2019 藤沢市ふじさわ宿交流館 All rights reserved.