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2019 7/24

「北仲通り」を歩いて見よう

「ふじさわ宿交流館」、「遊行寺」山門まえ先の道路は通称「北仲通り」と言われ、江戸時代に東海道(現在の旧1号線)が出来る前の道で、厚木、八王子方面に抜ける唯一の通りでした。現在は表通り(旧東海道・1号線)の抜け道として多くの車両が通行しています。道なりに進むと境川に掛かる「御殿橋」に出てきます。

(「御殿橋」への西富町付近)

(「御殿橋」から陣屋小路へ)

(「御殿橋」の歩行者道と桁に掲げられている絵図)

「御殿橋」には江戸時代に書かれた「相中留恩記略」から「藤沢宿の風景」や「藤沢御殿」付近の絵図のプレート2枚が掲げられています。

(「相中両恩記略」の付近の様子を描いた「藤沢宿の絵図」)

「相中留恩機略」は渡内村名主であった福原高峯が天保10年(1839年)に幕府に献上したこの地の絵図。藤沢宿の様子、家並みや道行く人々でにぎわっていた様子やが描かれ、「御殿橋」も描かれています。「御殿橋」を進むと「藤沢御殿」があった場所に出てきます。「藤沢御殿」は徳川家康、秀忠、家光3代にわたって28回利用された将軍専用の宿泊施設です。今は形跡を残すものはなく、住宅地になっていますが、写真の赤線で囲んだ辺りに「藤沢御殿」がありました。将軍宿泊施設ということで代官屋敷が立ち並び、「御殿橋」「陣屋小路」「御殿辺」という地名が残っています。「陣屋小路」町内会の道を歩いて当時の姿を偲んでみるのも良いものです。

(「藤沢御殿」があった場所)

途中に藤沢市の発祥を物語る行政施設、旧「藤沢公民館」の建物があります。旧「藤沢公民館」は平成31年4月に新「藤沢公民館」が新築オープンし、平成31年3月31日にお役を終えた(旧)「藤沢公民館」の建物の外回りが見られます。藤沢市発祥の歴史を物語る施設ー「高座郡役場」(明治11年)から始まり、「藤澤町役場」(大正6年)→「藤沢市役所」(昭和14年。昭和26年に朝日町に移転するまで「藤沢市役所」でした)→ 昭和26年独立公民館として「藤沢公民館」へと変遷してきた藤沢市の歴史を語る場所であり、施設でした。平成31年4月「藤沢公民館・労働会館」(Fプレイス)が新築され、「高座郡役場」から平成31年3月末まで長年この地で、地域とともに歩んできた藤沢市公民館第一号の「藤沢公民館」のお役を終えました。

(お役を終えた旧「藤沢公民館」の建物)

 

 

 

 

 

 

 

 

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